時制の難しさ (1)

   私は長年英文法を教えていますが、時々感じるのは、多くの文法の単元の中で「時制」は一番難しいのではないかなぁということです。少なくとも最高難度だとは言えると思います。かなり英語ができるような生徒でも「時制」についての理解がかなり曖昧であるということが多いのです。
  難しさの理由は、英語の時間のとらえ方と日本語の時間のとらえ方が非常に異なるためだと思います。ある出来事や状態がどのような時間的枠組みの中で起るのかについて、英語と日本語ではその「枠組み」自体が異なっているのです。少し似た例を挙げれば、英語では名詞に単数形と複数形があり、その区別は英語の母国語話者なら全ての名詞について自動的に行っているものです。しかしそれは日本語にはないルールなので、日本語話者が英語を使う時には、単複をいちいち意識せざるを得ないということになります。日本語ではそもそも考える必要のないことが英語ではある。時制もそれと似ていて、英語の時制は日本語に比べるとすこし「うるさい」、あるいは「細かい」という感じがします。(尤も私は日本語の母国語話者なので、「うるさい」とか「細かい」とかについて本当に客観的には判断出来ていないかも知れませんが。)少なくとも印象としては、英語の時制の区別は名詞の単複と同様かなり意識していないとできない「面倒な」ものです。この根本的な捉え方の違いが初心者にはなかなかわからないのです。適切な例えであるかどうか自信がありませんがフェンシングを初めて学ぼうとする人がどうしても日本の剣道の竹刀を使ってしまう、というようなことが起こるのです。道具が竹刀である限り、いくら頑張ってみてもフェンシングにならない。さらにやっかいなことに名詞の単複はその違いを指摘されるとすぐに気づくことが多いのですが、時制の場合は「それは竹刀ですよ」と指摘されてもなかなか気づかないというようなことが見られるのです。(つたわりますか、 この例え。ちょっと無理があるような気がしてはいますが・・・・)
  その気づかない原因を突き詰めてみると、英語の時制表現の意味の違いを理解するのに「日本語の訳」という 道具を使ってしまうということに行き当たるのです。意外に思われるかも知れませんが、英語の時制を考える時に、日本語の訳は役に立たないか、あるいは邪魔になってしまうのです。
  以上のことを次ページで、具体的な例文を使って確認してみましょう。

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