完了時制

   「時制のむずかしさ」 でも述べていることですが、日本語話者にとっては「基本時制」と「完了時制」を明確に区別することは極めて難しいことです。それは、日本語に両者の区別がないためです。
  完了時制を表現するイメージとして、
 
「端まで伸びてそこでピタッと止まる線」
 
のようなイメージを持つとよいと思います。
  基本時制との比較の例として、
 
She reads a book.
 
と、
 
She has read a book.
 
を使います。
 
  ①の文は、彼女は本を読む習慣がある、ということを多くの場合意味します。習慣ですから彼女が本を読む時間はいつから始まったかわからないし、いつ終わるかもわからない。
 
「どこかからやってきてどこで終わるのかわからない線」
 
というイメージです。それに対して②の現在完了は、いつ読み始めたのかはわからないが、
 
「現在」という端まで伸びてきて、そこで止まっている
 
ということが言えます。①の文では彼女はこれからも本を読み続けるような意味を含みますが、②では、「これから」のことを示す可能性はゼロです。
 
「現在完了は、現在という端でとまっている線」
 
なのです。
  さて、ここからは私の想像です。
  過去のいつからか始まった read という行為は、現在完了形によって「現在」という端で急ブレーキをかけられて止められます。その時、走ってきた物体が急に止められてしまうために衝突のエネルギーが発生します。小爆発です。つまり、そこが(ここでは「現在」が)話者にとって最も大事な時間なのです。
 
( 彼女は、本を読み終わっている )
 
ということが大切なのです。
   しかし、さらに大切なことは、その勢いがそこでとどまらず、よその場所へと向いてしまうということです。すなわち、
 
( 読み終わった。だから ~ だ。)
 
という別の事象へとつながっていくのです。
 
She has read a book.
(彼女が本を読んだぞ。)
 So, let's go out for lunch!
(だから昼を食べに行こう!)
 
のように、今彼女が本を読み終えている、ということは、今からの別の事象と関連する、ということが現在完了を用いる場合の普通の状況です。
  完了時制は単独では存在しづらく、それぞれの「線の端」(過去完了はある過去の時点、現在完了は現在、未来完了は未来のある時点)で、それぞれ別の事象につながっているような使われ方をするのです。

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