受動態とは

 私は刺身が好きでよく食べます。
そんな個人的などうでもいいのですが、この「私は刺身を食べる」という 文を、あえて刺身を主語にして言うとどうなるでしょうか。
 おそらく、
 
  ( 刺身は私に食べられる。 )
 
 という不自然な日本語になります。
 
 バナナダイエットというものがあるそうです。バナナがダイエットをするのではありません。(当然です。)バナナを食べてダイエットをするのです。(これも当然でした。)
そこで、
 
( 私は毎日バナナを食べる )
 
という文の主語を「私」ではなく、「バナナ」に変えて言うこともできます。
 
少し不自然ですが、
    
  ( バナナが毎日私に食べられる )
 
となります。
 
 同様に、
 
(彼女はその新聞を食べる)
 
という表現を、「その新聞」を主語にすると、
 
(その新聞は彼女に食べられる)
 
となります。(彼女はヤギです。)
 
 このとき、「私」や「彼女」を主語にした文を、
 
「能動態」
 
といい、「刺身」や「バナナ」や「新聞」を主語にした文を、
 
「受動態」
 
といいます。
 このように、○○が××に対して何かの動作なり行為なりをおよぼしている時(「食べる」以外のどんな動詞でも)、その事を××の 側から「××は○○に〜される」と表す。これが受動態の基本です。
  「私は刺身を食べる」では「私」が○○で、「刺身」が××ですね。××が○○に 何かをされる、が受動態。
  誰かが何かに動作を及ぼす文があって、「誰か」を主語にした文が「能動態」であり、同じ事象を動作を及ぼされる方を主語にした文が「受動態」ということになります。
 ですから、能動態と受動態は、一つの出来事を異なる視点で見たコインの表と裏のようなものだとも言えます。
 (このページでは能動態を受動態に「変換」する形で受動態を説明しましたが、初めから受動態でしか表現しないようなものもあり、コインの表裏の比喩があてはまらないものも多くあります。)

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